越後三大花火の一つとされる「海の大花火大会」の発祥は、
江戸時代の「祇園祭 奉納煙火」の花火が始まりです。
その歴史には数々の大火や疾疫があり、2007年7月には柏崎を襲った中越沖地震、
2019年から続くパンデミックなど、多くの災害が続いています。
それでも、ぎおん柏崎まつりで、海から次々に打ち上げられる鮮やかな花火に
人々の心は慰められました。「柏崎市民一同」の名で上がる大花火には、
慰霊の思いと平和への強い願いが込められているのです。
ぎおん柏崎まつりの始まり

昭和25年(1950)市制10周年に、八坂神社の祭礼であった「八坂祇園祭」と柏崎の「商工際」が統合されて始まりました。
当初は、24日に前夜祭の山車(だし)行列、柏崎芸妓連による「踊り屋台」などが催される賑やかなお祭りでした。
現在のような祭りになったのは昭和40年(1965)頃からで、毎年7月24日~26日に開催される「ぎおん柏崎まつり」は夏の一大イベントです。
24日の「民謡街頭流し」に始まり、25日「たる仁和賀」。26日の「海の大花火大会」は越後三大花火の一つとして知られ、市外や県外からも多くの人たちが訪れる夏の風物詩にもなっています。
八坂祇園祭と花火の始まり

ぎおん柏崎まつりの始まりの一つとされる「八坂祇園祭」は、柏崎市に鎮座する八坂神社の祭礼で、7月7日から14日まで行われていました。
八坂神社は、京都東山にある八坂神社を総本社として、素戔嗚尊(スサノオノミコト)を御祭神に祀る神社。「第11代の垂仁天皇の御代に『和那美水門祇園社(わなみみなとぎおんしゃ)』と称して創建された」と古事記中之巻に記されている歴史ある社です。
慶雲4年(704)疾疫流行の際に疫病鎮めの祭礼が行われたという記録が残り、
当時は疫病が流行するたびに、神輿(みこし)と奉納花火が打ち上げられていました。
疫病除けと祇園信仰、産土神(うぶすながみ)信仰が習合して明治5年(1872)に「八坂神社」と改称されています。
海の大花火大会は、江戸時代から打ち上げられていた、八坂神社の「祇園祭
奉納煙火」が始まり。明治から昭和初期までは、鵜川の河口で7月12日、13日、14日の3日間打ち上げられていました。花火がよく見える神社の境内には多くの出店が並びました。
民謡街頭流し(7月24日開催)

昭和32年(1957)に始まった民謡街頭流し。この年は陸上競技場で踊ったあとに柏崎神社脇の道路を流しました。それが大成功したことをきっかけに現在のかたちになりました。民衆の生活を唄った「柏崎おけさ」や「三階節」などを踊り伝える市民参加型の民謡街頭流しです。
たる仁和賀(にわか)(7月25日開催)

「にわか(俄、仁輪加)」は江戸から明治時代に始まった民間芸能で祭りや往来の即興狂言。市制30周年の1970年にぎおん柏崎まつりを盛り上げるために、各町内の「こどもたる仁和賀」の参加や御神輿、よさこいソーラン節などが加わって現在の姿に変遷しています。
海の大花火大会(7月26日開催)

日本海を望む42kmの長い海岸線が続く、柏崎市の風光明媚な景色が「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」のステージ。美しい夕焼け空から漆黒の空へとグラデーションしていく海岸。花火の打ち上げ開始と共に轟音とまばゆい光が広がり、人々の歓声と拍手が巻き起こります。次々に打ち上がる約1万6千発の花火が空と海を埋め尽くす大迫力。長さ600メートルの堤防で打ち上げるワイドスターマイン、海に向かって打ち上がる海中空スターマイン、尺玉100連発一斉打ち上げなど、市民の心意気が伝わる大花火が次々と夜空に打ち上がり柏崎の夜空を彩ります。

ぎおん柏崎まつりの始まり
昭和25年(1950)市制10周年に、八坂神社の祭礼であった「八坂祇園祭」と柏崎の「商工際」が統合されて始まりました。
当初は、24日に前夜祭の山車(だし)行列、柏崎芸妓連による「踊り屋台」などが催される賑やかなお祭りでした。
現在のような祭りになったのは昭和40年(1965)頃からで、毎年7月24日〜26日の3日間に開催される「ぎおん柏崎まつり」は夏の一大イベントです。
24日の「たる仁和賀」。26日の「海の大花火大会」は越後三大花火の一つとして知られ、市外や県外からも多くの人たちが訪れる夏の風物詩にもなっています。

八坂祇園祭と花火の始まり
ぎおん柏崎まつりの始まりの一つとされる「八坂祇園祭」は、柏崎市に鎮座する八坂神社の祭礼で、7月7日から14日まで行われていました。
八坂神社は、京都東山にある八坂神社を総本社として、素戔嗚尊(スサノオノ
ミコト)を御祭神に祀る神社。「第11代の垂仁天皇の御代に『和那美水門祇園社(わなみみなとぎおんしゃ)』と称して創建された」と古事記中之巻に記されている歴史ある社です。
慶雲4年(704)疾疫流行の際に疫病鎮めの祭礼が行われたという記録が残り、当時は疫病が流行するたびに、神輿(みこし)と奉納花火が打ち上げられていました。
疫病除けと祇園信仰、産土神(うぶすながみ)信仰が習合して明治5年(1872)に「八坂神社」と改称されています。
海の大花火大会は、江戸時代から打ち上げられていた、八坂神社の「祇園祭奉納煙火」が始まり。明治から昭和初期までは、鵜川の河口で7月12日、13日、14日の3日間打ち上げられていました。花火がよく見える神社の境内には多くの出店が並びました。

民謡街頭流し(7月24日開催)
昭和32年(1957)に始まった民謡街頭流し。この年は陸上競技場で踊ったあとに柏崎神社脇の道路を流しました。それが大成功したことをきっかけに現在のかたちになりました。民衆の生活を唄った「柏崎おけさ」や「三階節」などを踊り伝える市民参加型の民謡街頭流しです。
地方募集のご案内
たる仁和賀(にわか)(7月25日開催)
「にわか(俄、仁輪加)」は江戸から明治時代に始まった民間芸能で祭りや往来の即興狂言。市制30周年の1970年にぎおん柏崎まつりを盛り上げるために、各町内の「こどもたる仁和賀」の参加や御神輿、よさこいソーラン節などが加わって現在の姿に変遷しています。

海の大花火大会(7月26日開催)
日本海を望む42kmの長い海岸線が続く、柏崎市の風光明媚な景色が「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」のステージ。美しい夕焼け空から漆黒の空へとグラデーションしていく海岸。花火の打ち上げ開始と共に轟音とまばゆい光が広がり、人々の歓声と拍手が巻き起こります。次々に打ち上がる約1万6千発の花火が空と海を埋め尽くす大迫力。長さ600メートルの堤防で打ち上げるワイドスターマイン、海に向かって打ち上がる海中空スターマイン、尺玉100連発一斉打ち上げなど、市民の心意気が伝わる大花火が次々と夜空に打ち上がり柏崎の夜空を彩ります。